ランダムアクセスメモリ:時間とともに変化する「The Wreck」のナラティブとその背景にある思想

The main character of The Wreck, a writer named Junon, is seen in animated form standing in a hospital hallway. The top half of the halls are a salmon color and the bottom half are a dingy white tile. Junon is wearing a black sweatshirt and black glasses and looking at the camera.

「The Wreck」のカテゴリはゲームとされていますが、ビジュアルノベル、インタラクティブ体験、参加型映画とも呼べる作品です。Florent Maurin氏は、それらの呼び方のどれを使っても構わないと考えています。「ビデオゲームの概念を拡大するのに、私たちが微力ながら貢献できているとしたら嬉しいです」とMaurin氏は語ります。

Florent Maurin氏は本作の共著者、デザイナー、そしてプロデューサーであり、本作をどう捉えるかは、受け取る側次第だと言います。「The Wreck」の物語の主人公でライターのJunonが、突然病院に呼び出され、自分の母親に関する、人生における重要な決断を迫られます。物語の中心となるのは、作品名にも関連しているとある事故です。しかし、物語の始まりに続く展開は断片的で、一見関係のないいくつものシーンをプレイヤーが進めていくなかで、徐々に物語の全貌が見えてきます。個々のシーンは何度でも、さまざまな異なる視点から観ることができます。「The Wreck」は決して軽い内容ではありませんが、力強いストーリーと独自のゲームシステムを融合させることで、ほかでは味わえない体験を生み出しています。

「通常のゲームとは一味違うものを創りたいと思いました」と、The Pixel Huntの社長兼CEOも務めているMaurin氏は言います。「それに、プレイヤーと感情的につながるような作品にしたかったんです」


ADAファクトシート

In this screenshot from The Wreck, the main character, Junon, walks away from a kitchen that's on fire. Behind her, flames erupt from the stove and sink area.

The Wreck

  • 受賞カテゴリ:ソーシャルインパクト
  • チーム:The Pixel Hunt
  • 対応デバイス:iPhone、iPad
  • チームの規模:4人

Maurin氏は以前、母国のフランスで、子ども向けの雑誌や新聞を制作する企業に勤めるジャーナリストでした。同業界で10年近く活動したあと、Maurin氏はビデオゲーム業界に移ります。ゲームは、実在する人々のリアルなストーリーを社会に伝える、もう一つの方法だと感じたからです。「映画や小説、漫画は、どれも現実世界から着想を得ています。しかしゲームの世界では、現実が創造の源泉になることはほとんどありません」とMaurin氏は語ります。「そんな状況に一石を投じたかったんです」

2014年設立のThe Pixel Huntは、App Store Awardsを受賞した歴史アドベンチャー「Inua」やテキストメッセージ型のアドベンチャー「Bury Me, My Love」などのタイトルにより、これまでにも高い評価を受けています。「Bury Me, My Love」の開発プロセスが終盤に差し掛かった頃、Maurin氏は自身の娘とともに、重大な自動車事故に遭いました。

「まるで、映画の1シーンのようでした」とMaurin氏は振り返ります。「時間の流れがスローになって、その場の状況と全然関係ない過去の光景が目に浮かんだりしました。後から本で読んだのですが、脳はそうした状況に対処するため、古い記憶の中から役立ちそうな情報を探すらしいです。本当に突然の激しい体験だったので、何らかの形で作品にできないかと思いました。それで、まず思いついたのがゲームだったのです」

In this screenshot from The Wreck, a nurse with black hair wearing blue scrubs talks to the main character, Junon, in a hospital hallway. Dialogue on the screen says, "Why do you think I'm here?" "I'm sorry."

Junonと病院スタッフの会話は、「The Wreck」のストーリーを織りなす要素の一つです。

しかし、Maurin氏にとってその題材はあまりに生々しいものでした。事故の影響は長く続き、Maurin氏はゲームの制作から離れます。「事故が引き起こした激しい感情から、自分自身を守ろうとしていたのでしょう」とMaurin氏は語ります。「そんな時、アートディレクターのAlexが言ったんです。『このアイデアは素晴らしいよ。でもこの体験を本当に深く見つめて、制作の方向性をしっかり定めないと、きっとモノにならないよ』、と。これは本当に的確な助言でした」

このAlexとは、The Pixel HuntのアートディレクターのAlexandre Grilletta氏です。同氏は開発チームのリーダーを務めました。チームのほかのメンバーは、リードデベロッパのHorace Ribout氏、アニメーターのPeggy Lecouvey氏、サウンドデザイナーのLuis Torres氏とRafael Torres氏ですが、Maurin氏の姉妹であるCoralie Maurin氏も脚本における第2の頭脳として加わりました。(また偶然にも、このゲームの記述にはInkleが開発したオープンソースのスクリプト言語が使用されました。Inkleが2022年にApple Design Awardsを受賞したゲーム「Overboard」でも同じ言語が使用されています。)

In this screenshot from The Wreck, a woman with short blonde hair is sitting in a softly lit room. She is saying, "So what's the play? Idiot or goldfish?"

「The Wreck」では、Junonの姉妹は必ずしも好ましいキャラクターとして描かれていません。

「The Wreck」のストーリーは2つのパートに分かれています。1つ目は「最後の日」と名付けられたパートです。Junonが病院で母親の状況を知らされ、姉妹および元夫とのやり取りの中でさまざまなことが明らかになる流れを追っていきます。Maurin氏は「最後の日」はデザインの観点では非常にシンプルだったと言います。「映画のような雰囲気にしたかったので、コマ送りアニメーションとフレーミングを使ったストーリーボードのようなデザインにしました。凝ったところはありません。より難しかったのは、記憶を辿る部分です」

開発チームがストーリーの背景と位置付ける「記憶」のパートでは巧妙なシステムが使用されており、プレイヤーは各シーンを映画のように視聴でき、早送りと早戻しも可能です。記憶のシーンは、「最後の日」とは大きく異なります。急に上から近づくようなカメラアングル、切り替わる視点、空中に浮かぶテキストなどが、夢のような創造的な雰囲気を生み出します。 Maurin氏はこう説明します。「テキストをこのように扱う手法を初めて見たのは『What Remains of Edith Finch』の中でした。その時々のキャラクターの脳内の処理が何によって引き起こされているかを示す、洗練された方法だと感じました」

The main character of The Wreck, a writer named Junon, is seen in animated form standing in a hospital hallway. She is wearing a black sweatshirt and black rimmed glasses. Three shimmering phrases float in the air around her: "impacts the body," "impaired," and "long-term."

Junonの思考は、彼女がストレスを感じている時などに身の周りに浮かび上がるフレーズとして表現されます。

記憶のシーンを続けて観ていくうちに、新しい事実が明らかになったり、それらの記憶の正確性に疑念が生じたりします。これは、Maurin氏自身の体験に基づくものです。「例を挙げてみましょう。私の両親が生まれたばかりの妹を家に連れて帰ってきた時、車に乗って帰ってきたのを正確に覚えています。とても鮮明な記憶です。しかし不可解なことに、この記憶は第三者の視点からのものなのです。私は、窓のそばにつま先立ちして道にいる両親と妹を見ている、その自分自身の姿を見ているのです。ありえませんよね。 何らかの理由で、自分の記憶を書き換えているのです。なぜそんなことが起きるか理解しているのは、私の脳だけです。でも、その記憶は極めてリアルなんです」

開発プロセスを通じて、Maurin氏とチームは「心を揺さぶる、成熟した」ストーリーというコンセプトを忠実に守りました。実のところ、「The Wreck」の初期のプロトタイプはよりゲーム寄りの内容でした。プレイヤーが空中に浮いているアイテムをつかめるというバージョンもありましたが、テスターはそうしたシステムはかえって気が散ると感じたのです。「プレイヤーの意識がストーリーから離れてしまい、 イマーシブ感が損なわれてしまいました。これは私たちが目指していたものにとってマイナスでした」とMaurin氏は振り返ります。

This screenshot from The Wreck depicts a car accident taking place from inside the vehicle. A blue tin labeled "Sparrow Peppermints" is flying through the air. Outside the windshield, the bright light of a fire can be seen.

このペパーミントの缶など、「The Wreck」のアイテムには、多くの場合、重要な意味があります。

Maurin氏は、このような姿勢でゲーム制作に取り組むのは困難であるかもしれないと認めています。「私たちのゲームに興味を持ったり、大ファンになってくれるプレイヤーもいれば、一方で、『好みのタイプのゲームじゃない』と感じる人もいます。合うか合わないかは人それぞれだと思います。でも、とにかく私たちは11年、このようにゲーム制作を続けてきて、より良い作品が作れるようになってきたと感じています」

Meet the 2024 Apple Design Award winners

「デザインの舞台裏」は、Apple Design Awardsの各受賞者がどのようにデザインを実践しているか、また制作の背景にある哲学を探っていくシリーズです。賞を獲得したアプリやゲームのデベロッパやデザイナーが、どのようにしてその素晴らしい作品に命を吹き込んだのか、ストーリーごとにその舞台裏を覗いていきます。