音楽制作者
2021年6月8日
没入型のAppにとって重要なのは、ルックアンドフィールだけではありません。素晴らしいサウンドも必要です。Apple Design Awardsの候補者となったデベロッパの何人かに、音楽制作、オーディオデザイン、サウンドについての考え方をお聞きしました(中にはカエルの話も出てきます!)。
Poolsuite FM: ホットなサマータイムを演出
端直に言えば、Poolsuite FMを聞けば最高の夏気分を味わえます。ビットマップ式でさまざまなジャンルを扱う、ビーチパーティのジュークボックスのようなこのAppは、90年代のレトロな雰囲気を届けながら、舞台裏では高度な技術体験が展開されています。Poolsuite FMはレゲエアーティストでイビサ島のDJでもあり、愛嬌たっぷりのスコットランド人Marty Bell氏によって開発されました。しかし、Bell氏はプールサイド向けのAppを制作する前は、音楽教育を受けたこともなければテクノロジーに関する経験もありませんでした。人を雇うお金もなく、もちろんプールなど所有していませんでした。
Bell氏にあったのは夏の感覚と研ぎ澄まされた感性をミックスし、太陽のような曲を選んで紹介したいという素晴らしいアイデアだけでした。「僕の頭の中にはプールがあるんですよ。10人くらいがぶらついていて、みんな僕よりずっとクールな人たちです。『じゃあ、ここであの曲をかけようか?』と、頭の中で考えるんです」Bell氏は笑って話しました。「これは大きな賭けなんですよ」。
彼がPoolsuite FM(最近まで「Poolside FM」という名前でした)のことを思いついたのは、2014年、いつもに増して暗いスコットランドの冬のことでした。「あれは気が滅入るような冬でした」と、Bell氏はスコットランド高地の自宅からインタビューに応えました(最近、彼は「新型コロナウイルスからの7か月間の避難」を終えてドミニカ共和国へ戻りました)。 「寒かったし雨がずっと降り続いていました。でもこの音楽を聴くだけで気分が盛り上がったんです」。
Bell氏はこの太陽の光を他の人にも広めたいと考えました。とはいえ、長年のパーティプランナーとしての経験から、単なるプレイリストだけではあまり受け入れてもらえないことも分かっていました。「みんな自分のプレイリストが最高だと思ってますからね(笑)。それで、『こんなに幸せな気分になれる夏のサウンドを、他にも自分が楽しく思えるもの、たとえばVHSに録画してる80年代のB級映画と組み合わせたらどうかと考えたんです」。
レトロ風のテクノロジーとポジティブな気分で満たされたPoolsuite FMは、すぐに評判になりました。見た目は懐かしの1994年のMacを再現しています。プレイリストはBell氏が選曲し、SoundcloudやYouTubeに埋もれているアーティストも取り上げました。サウンドは意図的にさまざまなジャンルにまたがっています。「ディスコやインディーロック、エレクトロニックミュージックなどがありますが、自分ではどれも同じファミリーだという感覚です」。
現在、Poolsuite FMには「Indie Summer」、「Hangover Club」、「Tokyo Disco」、「Friday Nite Heat」など豊富なチャンネルが用意されています。プライマリチャンネルには600曲が登録されていて、Bell氏が自身で選んだり、SNSを通じて投稿されたりしたものを毎週10数曲、新たに加えています。「自分では知らないアーティストの曲をいろいろ聴くより、Poolsuiteの方が断然楽しめますね」と彼は話しています。
もう1つ驚くことがあります。Poolsuite FMは収益化されていないのです。Bell氏は有志に頼んで、収益化のために日焼け止めクリームのブランドを立ち上げました。「Poolsuiteは収益化したくなかったんです。データやKPIを追うようなことは興味ありませんでした。せっかくの盛り上がりが台無しになりますからね」。盛り上がりのない夏なんてありえない、ということです。
If Found… 銀河空間をさまよう旅
「If Found…」は他のゲームやAppとはまったく違います(何と呼ぶべきかはまだ検討中です)。没入型のSF成長物語で、主役のKasioという名の若いトランスジェンダー女性が書いた日記を中心に展開します。大ざっぱにいうと、それぞれのシーンを指で消して進みながら、最初はバラバラに見えるストーリーのかけらを徐々に1つに合わせていくゲームです。ゲーム中は、デザイナーであり作曲家のEli Rainsberry氏とMatt Hopkins氏がさりげなく道案内をしてくれます。
「日記を開くと、白昼夢を見ているようにすべてが頭の中で聞こえるような感じにしたかったんです」と、Rainsberry氏は話しています。
ゲーム業界のベテランで、「Bird Alone」、「A Monster’s Expedition」、「Wilmot’s Warehouse」などのゲームでも曲が使われているRainsberry氏は、「If Found…」のより繊細で感情に訴える日記の連続に、強く共感しました。「特にその部分で、消えていくシステムに沿った表現を作り出せました。崖のシーンは軽い風で始まりますが、Kasioがストーリーに沿って移動するにつれ、まわりはだんだん冷たく希薄になっていきます」。Rainsberry氏は、日記のシーンの横糸としてアコースティックギター、マンドリン、ハーモニカをふんだんに使ったアナログな音楽が必要だと感じました。「消えていく記憶を再現するようにしたかったんです」と彼らは説明しています。
moniker 2 Melloのもと録音を行ったHopkins氏は、よりドラマチックなシーンの曲を作りました。たとえば映画のような天空を描いたオープニングのストーリーでは、ユーザーは宇宙に投げ出され、惑星を丸ごと(そして次にもっと大きな何か)を少しずつ消していかなければなりません。
そのために、90年代のエレクトロニカを使い、The Prodigyの熱狂的な叫びや、Aphex Twinのよりアナログ的なアプローチを取り入れました。「ビデオゲームにポップミュージックのようなサウンドを使ってほしいと言われることはめったにありません。たいていは感情と気分が中心になります。でもそのときは、そういうインスピレーションを感じました。ブレイクビーツの要素も少し忍ばせてあります」。
全体としてミステリアスな感じに聞こえれば、成功というわけです。「If Found…」のストーリーラインはそれぞれが紐のように編み込まれ、エンディングで全体がまとまり、2つの世界も統合されます。「日記が本当の生活と絶えず入れ替わっているところでは、Rainsberry氏の曲の一部をサンプリングして使いました」とHopkins氏は述べています。Rainsberry氏は、それについて次のようにコメントしています。「何が起きているかユーザーが咀嚼する時間を持てるよう、静かな時間帯を作りました。その後に、Hopkins氏が素晴らしいクライマックスの音楽を挿入しました。うまくバランスがとれていると思います」。
Pok Pok Playroom: 子どものためのセンスの良いゲーム
独創的な子どもの砂場「Pok Pok Playroom」の制作にあたって、Esther Huybreghts氏とMathijs Demaeght氏には重要な目標がありました。 「レストランで親が音ミュートにしなくて済むゲームを作ろうと思っていました」と、Huybreghts氏は笑って話しています。「頭の中でジャンジャンと鳴り続けるようなものではなく、もっと落ち着いたものを作りたかったんです」。
レストランで食事する大人にとって朗報なことに、それは成功しました。Pok Pok Playgroundは、子どもたちの感覚に合うセンスの良いゲームです。手書きのスイッチでページをめくり、歯車を回し、粘土を丸め、ベルを鳴らします。ただしこれらは十分に配慮した聴覚バランスにもとづいていて、子どもの精神を活性化すると同時に、子どもが想像力を発揮して細かい部分を埋めていけるようになっています。これにはサウンドデザイナーであるMatt Miller氏が寄与しています。Miller氏はこのプロジェクトに全面的に協力するために、口全体を使いました。
「小さなサウンドを作ることから始めました。チューチュー、クワックワッといった音です」と、トロントを中心に活動するMiller氏は述べています。「ちょっと恥ずかしかったですね」。
それがうまくいきました。Miller氏はすべての音を運動場で録音しました。モップのバシャバシャいう音、グリルがジュージュー焼ける音、そして言葉を使わないやり取りはすべて、Miller氏と妻のCathyさんによるものだそうです。「コンセプトは心が落ち着くような音をつくることでした。繰り返し聞いても疲れないような音です」と、Miller氏。(お子さんをお持ちの方や、保育に携わる方にはこの意味がわかるでしょう)。
当初、Miller氏とDemaeght氏は現実のオブジェクトを少数使おうと考えていましたが、すぐに、Appの500あるアニメーションにはもっと幅広いサウンドが必要だと気がつきました。それでMiller氏が音探しに出かけたのです。「積み木、鍋、中古品店で買ったものなどを集めました」と、自宅スタジオの後ろに置いてある、効果音のための道具が入った箱を指さして、Miller氏は言いました。「楽器店に入っては、楽器を指ではじいて音を試すようにまでなっていました」。
いちばん難しかったのは、「musical blob(音楽の塊)」というセクションで、移動できる形で構成される抽象的な遊び場でした。Miller氏は次のように述べています。「『musical blob』は全く新しい考え方です。これが機能するには多くの要素を必要する必要があります」。たとえば、ブルーの色は常にCで、丸(一番単純な形)は単一正弦波(純音)で表されます。「これには一貫性が重要です」とMiller氏は言います。
とはいえ、このゲームの対象ユーザーと同じく、Miller氏はここに遊びの余地を見つけました。彼のお気に入りの効果音の1つは、後ろ脚を上げて糞を転がすフンコロガシの出す音だそうです。「彼らが転がす音は、私がスープ缶を開けているような感じなんですよ(笑)。直球で制作することも大切ですが、でも意外性のあることをするのも楽しいですよね」。
Loona: 夜の時間は大切な時間
昨年、ある平日の朝、Loonaの創設者のAndrew Yanchurevich氏は、チームのサウンドディレクターであるIvan Senkevich氏にメールし、まだ出社していない理由を尋ねました。Senkevich氏にはちゃんとした理由がありました。カエルを探しに出かけていたのです。
正確には、カエルの音を探していました。チームが制作している睡眠改善Appに組み込める音を録音していたのです。Senkevich氏はベラルーシのミンスクにある自宅周辺の地域が、「自然の音にあふれている」と説明しています。「録音のために、よく自分の村を歩きまわりました」。
それには多くの理由がありました。寝る前の読み聞かせのストーリーや、双方向のアクティビティなど、素晴らしいメニューを揃えたLoonaは、「sleepscapes」で緊張をほぐすAppです。「sleepscapes」は就寝時に心を落ち着かせるためにデザインされたサウンドやストーリー、ナレーションなどのミックスです(瞑想を行う双方向の物語だと思ってください)。
適切に眠気を誘う音響環境をつくるために、Senkevich氏は頻繁に街へ出歩いて、カエルだ けでなく、森を抜ける風や川のせせらぎ、虫のブンブンいう音などを集めました。「sleepscapes」にはアニメに近いものもあれば、本物に近いものもあります。ただし、 音はなるべく自然なものを使うようにしています」。一部の音は図書館から借りたものだ そうです。「ミンスクでは海の音は録音できませんからね」とSenkevich氏は笑って話してい ます。
アート、ストーリーテリング、グラフィック、音楽、睡眠化学を組み合わせたLoonaの心安らぐ処方箋に、サウンドは欠かせない要素です。Yanchurevich氏によると、この魔法の組み合わせは、Senkevich氏のグラフィックと音響のデザインにおける経験が生み出したものだということです。Yanchurevich氏は次のように話しています。「うちで仕事をすることになったとき、Senkevich氏はグラフィックと音響の両方で豊富な経験を持っていました。彼はその2つの世界のつながりを感じることができるんです。他の人にはない素晴らしい才能です」。
その結果生まれたAppは、「子ども時代に自分を包んでいた安全な空間を再現」するようなデザインになったとYanchurevich氏は語っています。導入のsleepscapeである「The Dragon’s Shrine」では、ユーザーは大理石の美しい塔に入っていきます。そして、心地よい声に導かれながら、ランタンに火を灯したり建物の細部に色を塗ったりといった、気持ちが落ち着くタスクを繰り返します。sleepscapeを進むと、おとぎ話の国に没入し、暗い森(サウンドの多くはミンスクで集めたもの)を歩いたり、パチパチいう火のそばで暖まったりします。音楽はブラジル、アジア、米国などのフリーランスのサウンドミュージシャンのチームが制作し、それぞれの文化も取り入れています。ただし最終的な製品は1つのデザインにまとまっています。「グラフィックとオーディオを、1つの考えとして表すよう取り組みました」とSenkevich氏は述べています。
NaadSadhana: たぐいまれなマシン
NaadSadhanaは驚くような未来志向のAppです。このようなAppを作れるのは、非常に専門的な、不可能に近いスキルを持つ人だけです。
それがSandeep Ranade氏でした。
このAppでは、ユーザーが即興でボーカルの一節を歌うと、AIがそれを聞き分けて、ぴったりの伴奏をリアルタイムで生成します。NaadSadhana(「音のエッセンス」と「体系的な練習」を意味するサンスクリット語を組み合わせたもの)には、退屈な反復楽句やループはありません。バーチャルのタンブラ、タブラ、ハーモニウムなど、10の楽器が、ユーザーのボーカルと同じように自発的な音を奏でます。ビジュアルバイオフィードバックなどの機能により、視覚や聴覚に障がいのある人にとっても非常に便利なツールになっています。
Ranade氏はこのプロジェクトの制作にぴったりの位置にいました。インドのプネーを拠点に活動するデベロッパのRanade氏は、4歳で歌を歌い始めました。11歳の頃には素晴らしい歌唱力と同時に、ソフトウェアエンジニアリングの才能も見せていました。「ソフトウェアか音楽か、どちらに進むか決めなければなりませんでした。それで両方の仕事をしようと決意しました」と、Ranade氏は話しています。
彼はその二刀流を何年も追及しました(その他にも追求したものがいくつかあります。Ranade氏はジョンズホプキンズ大学で修士の学位を取得し、20年間テクノロジー関連の仕事に携わり、ヒンドゥースターニー古典音楽の声楽家としても好調なキャリアを築きました)。その間、声楽の指導も行っていましたが、プロセスの効率の悪さに悩まされていました。インド古典音楽の声楽トレーニングは、非常に厳しく難しい過程です。昔ながらの練習方法では、生徒は教師と生活を共にし、1日10時間の練習を毎日続けることになります。現在はそのような時間を調整することは不可能になりましたが、練習の厳しさは変わりません。
「頻繁にコースの修正を行わなければ、神経経路は必要なところに集中できません。ここは少し低すぎる、ここは少し高すぎると、生徒に教える方法が必要でした」。解決策を見つけられなかったため、SwiftやXcode、AI、グラフィックデザイン、モバイルAppのデザインなどを学んだことがなかったにもかかわらず、Ranade氏は自らソリューションの構築に取りかかりました。
そこからは、調整を始めました。何が歌っていて、何が歌っていないかを検出するためにAIを追加しましたが、まだ何か加える余地があると感じました。「伴奏が欲しいと思いました。弦が40本あるスワマンダルのような楽器は、調律が難しく、持ち運びにも適していません。それで、私ぐらいうまく演奏できて、調律が保たれ、しかもスマートフォンに収まるとしたらどうだろうと、考えたんです」。
彼は新型コロナ感染症の予防策についての歌、「Na Corona Karo」の録音を行ってAppをテストしました。この曲は口コミで広まり、A.R. Rahman氏やその他の人々にシェアされました。Ranade氏は音楽界の指導者たちの反応に感動しました。「亡くなった私の師匠などの音楽の天才が、これは人間による本物の伴奏だと思っていました。これがソフトウェアだということに、皆驚いていました」。
現在、NadSaadhanaはバイオリン、ピアノ、ハーモニウム、そしてシェイカーやアンクルベルなどの打楽器の音で、自動でハーモニーを生成します。搭載されたAIはそれぞれの楽器の複雑さに合わせるだけでなく、オーケストラのミックスや歌い手の気分にも合わせられるようトレーニングされています。「『この音符で歌っているから、このコードを使う』というような単純なものではありません。その他の要素も重要です。ゆっくり歌っているか、速いテンポで歌っているか?悲しい歌い方か、アップビートか?それによってコードが変わり、選択肢は数千にものぼります」。バンドによっては機械に抵抗がある場合もあるため、今後はバンドの意見も取り入れていきたいと、Ranade氏は話しています。